社労士の菊地です。今日はどうして私が社労士を目指したのか、について書いていきたいと思います。
転勤族で仕事に困った
私は結婚後、転勤族の妻になりました。俗に「転妻」と言うのでしょうか。
夫は、リゾート勤務だったために住むところは湖のほとりや高原・温泉地・山のふもとでした。
埼玉県育ちの私は、自分が都会育ちだと思ったことはなかったのですが、結婚後に住んだところに比べ自分がこれまで育ってきたところは明らかに都会でした。
どんなところでそう思ったかというと、働く場所の数が圧倒的に多かったということろです。
電車で何駅か乗れば、オフィス街がありました。
リゾート地では一人一台車がなければ生活ができず仕事にも行けず、オフシーズンには街に歩いている人の姿も見られません。そういう現実を知りませんでした。
仕事に就こうと職を探し、就職面接で「転妻」であることを言うと、まず受かることはありませんでした。今思えば当たり前かもしれません。いつ引っ越しがあるかわからず、長く勤められないからです。
さらに、結婚したてとあれば、「いつ子供ができて辞めるかわかりませんよね」と言われました。いまでは面接官のそのような発言がNGであることは常識となっていますが、15年以上前はそういうことを言う人はいっぱいいました。予想と違っていた生活に、現実を甘く見ていた自分が悪いと思いながら暮らしていました。
書けない職務経歴書
そんな中でもようやく仕事を見つけ、アルバイトや臨時職員などをしながら子育てや何回かの引っ越しをしてきました。一貫性がなく、途切れ途切れの職務経歴。あるとき、全国どこに行っても通用する資格がほしいと思うようになりました。
某通信教育のチラシを手に、どの資格がいいかな~と見ていったら、「社会保険労務士」が目に留まりました。正直、現実の世界で社労士をしている人を一人も知りませんでしたし、どんな仕事をするのかもまったくわかりませんでした。でも、説明書きの中の「労働基準法」という文字に興味がわきました。当時、「ブラック企業」という言葉はいまほど一般的ではありませんでしたが、私はある理由でその言葉を知っていました。
労務の仕事はどこにでもある
それと、会社やお店が存在さえしていれば、少なくとも労務の仕事はその場所にその数だけ存在する、と考えました。社労士になれなかったとしても、その知識は何かしら仕事に就くうえで役に立ち、必要とされるのではと思ったのです。
また、士業として独立すれば自宅で仕事ができる、という淡い期待もありました。だって当時は、一般社員があたりまえに在宅勤務できる時代がくるなんて、想像もつきませんでしたでしょ?
そして私の社労士の試験勉強はスタートしました。二人目の子供がまだ小さいころで、ミルクをあげて昼寝させている合間時間にテキストを開いていました。自分にとって、勉強する内容は目からウロコと言っていいほどで、面白くてどんどんテキストを読みすすめていきました。勉強の中で、いままで自分や家族の働くということにまつわる「これっておかしくない?」というモヤモヤした感情の理由に行き当たるようなこともありました。
また、大人になってからする勉強って純粋に楽しいなとも思いました。
これが私が社労士を目指しはじめた理由です。
よくわからないまま目指した職業でしたが、結局、私の直観はあたっていて、いまではこの仕事以外は考えられません。
一従業員や母親・転妻の経験というのも、この職業をやっていくうえでまったく無駄であるとは思っていません。
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